すずきち
この記事では平凡な会社員だったすずきちが脱サラして、滋賀の山奥に移住を決断するまでのお話をしていきますね。
いまはサラリーマンだけど「いつか地方に移住してライフスタイルを変えたい!」「毎朝の満員電車から解放されてのんびりと暮らしたい!」という方に読んでみていただけると嬉しいです^^
目次
最大の理由:「あなたがいなくても組織は回り続ける」という残酷な事実
ぼくが脱サラを決意したのはこのことが脳裏に浮かんだからと言っても過言ではありません。
会社という組織である以上、社員は組織に属する歯車であり、だからこそ組織であり続けられるのです。
逆に誰か一人が抜けたらにっちもさっちも行かない!という会社は組織として弱いということになります。
頭では理解できますし、仮にじぶんが会社を経営していたら社員は歯車であるという認識をもってしまうことは大いに考えられます。
ですが!
すずきち=歯車=代替可能な存在・・・だという事実が腑に落ちない瞬間が度重なっていき、ある日スパッと退職届を提出するにいたったのです。
地方移住を決断した理由その1:過労によるストレスと長時間労働のスパイラル
ブラック企業やブラックバイトという言葉を聞くようになって久しい昨今。
サラリーマンが残業することは全然なくなりません。
企業によっては残業代が出ないところもあれば、残業代をあてにしている従業員がいたりする企業もあるそうで。。。
すずきちが在籍した会社は残業代は出ましたが、残業が多かったなあ・・と、いまでは思います。
残業続きで、平均帰宅時間は夜の21時くらいだったでしょうか。
どうしても妻へ家事と育児の負担が大きくなっていきました。当然ですが家でもふとしたことで喧嘩することが増えていくことに・・・
すずきち
地方移住を決断した理由その2:ストレスで心身ともに絶不調に・・・
当時はがむしゃらに業務をこなしていくことが未来のじぶんのキャリアとスキルアップに直結しているのだと疑いませんでした。泣
最近、戦略ピラミッドというフレームワークを知りました。これを使って当時の業務を振り返ると、日々の業務がどういったミッション実現のためであって、そのためにはどういう戦略があり、だから戦術はこうで、、、という風な思考を一切すっ飛ばして、口答えせずにそれこそ機械のように上司に言われたことをがむしゃらに実行していたのだから、そりゃ報われませんよね。。。という感じがしています。^^;
虚しくも、はたらけどはたらけど我が暮らし楽にならずといった調子で、労働時間ばかりが増えていきました。
結果的に心身の疲労からくるストレス、そして疲労が回復する前にまた疲労が蓄積していき、業務上の作業効率も落ちていくことに。判断力低下、効率低下、労働時間増加・・・の無限地獄にはまっていました。。。
そして愛妻弁当の味もわからなくなり(=味覚障害)、手は震えるわ、まぶたもピクピク(=顔面痙攣)・・・
退職届をだす数ヶ月前には原因不明の発疹が身体中に発症したり、咽頭炎で固形物が喉を通らなくなり、豆腐やゼリーばかり食べていました。
すずきち
地方移住を決断した理由その3:置かれた場所で咲けなかったから
先生
先生はそうやって言うかもしれません。
が、しかし!
土壌が合わなくて咲けない花だってあるのです。
周囲の応援や過度なプレッシャーという名の肥料でダメになってしまう場合もあるかもしれません。
植物は自分で動けませんから、置かれた場所で咲くしかないのです。
一方、人間はじぶんの足で動けますよね。
だから、「この土壌=環境はじぶんに合わないかもしれない・・」と思ったのなら素直に違うところに動けばいいのです。
人は変化を嫌い安定を好みますが、安定はその場に留まることで手に入るのではなく、動き続けることによって初めて「安定した状態」だと言えるのです。
例えていうなら新陳代謝によって古い細胞と新しい細胞が入れ替わることで同じ人間として成立できているとも言えるでしょう。あるいは自転車で安定するためにはペダルを漕ぎ続けなくてはいけなかったりするように、安定とは、動き続けること=行動し続けることによってはじめて保つことができるのです。
石の上にも3年ということわざ通り、就職してから「とりあえず」3年は働こうという声も多々聞きますが、合わない土壌で無理をしてしまい、根腐れして枯れてしまっては取り返しがつかないことになるかもしれません。
まとめ:人が足りていないところで暮らそうと思った
「代替可能な歯車人間を卒業したい!」
ぼくも未熟なひとりの人間として、「誰かに必要とされたい」というエゴはごく自然にもっています。
承認欲求というやつです。
「誰かに見ていてほしい」「褒められたい」「認められたい」
とっても素直な欲求です。
あなたもきっとこうした欲求をうちに秘めているはずです。
けれども、いつのまにか、じぶんの胸のうちにそうした人間としてごくごく自然な欲求を押し殺してはいませんか?
だとしたらそれはどうしてなのでしょうか?
それが大人になるということなのでしょうか?
ぼくはそうは思いません。
だからこそ、脱サラして住環境を変えて、まったく異なる林業というナリワイを選びました。
その結果、身の回りのストレスを激減させることに成功しました。
移住先として選んだのは、いわゆる「限界集落」と呼ばれる場所です。
住民の半数以上が65歳以上の集落です。
こういう自治体は全国でも数多くありますし、その中には「消滅可能性都市」と呼ばれる集落もあります。
こうした自治体においては、マンパワーが圧倒的に足りていなかったりします。
今はなんとか平気でも10年、20年したら誰もいないのでは・・・という集落もあるでしょう。
となると、よほどのことがない限り、相対的に一人の人間の需要が高まるのでは?という考えがあります。ひいては、地方で暮らしていくことが、承認欲求を満たすことができる=メンタル・ヘルスケアに繋がるという結論でもって日々の暮らしを送っているところです。
すずきち
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