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【終了のお知らせ】地域おこし協力隊の任期が終了、2年半を6分で振り返る。

地域おこし協力隊の任期終了

この記事を読むのに必要な時間は約 6 分です。

すずきち

山の奥からこんにちは、すずきち(@szkjpx)です^^

2020年3月末で、米原市の地域おこし協力隊(自伐型林業みらいつくり隊)の任期が終わりました。
6分くらいでサクッと読める文量で、ダダダっと振り返りをしてみます。

気がついたら終わっていた・・・とまではいきませんが、体感としては1年半くらいの時間感覚です。
1.5倍速くらい。

それをさらに10倍ぐらいに凝縮してギューン!とブログ記事にまとめるので、さくさくっと読んでもらえると嬉しいです。

こんな人に向けて書いてます
・これから地域おこし協力隊になる人

・現役の地域おこし協力隊の人

・新型コロナの影響で地方移住を検討している人、家族持ちの人

地方移住の下見で高知と滋賀へ

過去記事を参照しつつ振り返ってみると、超絶長くなりそうなので、記事のリンクはとりあえず省きます。

地方移住するぜ!となってから、はじめにしたことは移住先の候補を検討すること。

高知と滋賀あたりで〜と絞ってから、家族で実際に見に行きました。
高知は遠かった・・・。
けれど、出会う人みなとても温かくて、よいところでした。

妻の出産も控えていたので、京都から近い滋賀、米原に絞り、協力隊の面接を受けて無事合格。

このとき、2017年7月か8月くらいだったと記憶しています。
記憶が定かじゃないのは仕事のストレスだったはず・・・。

単身赴任暮らし、二拠点生活のスタート

身重の妻と長女を京都に残し、9月末から単身米原へ移住。
いま考えると最低ですね〜。

何千回もの議論、対話をへて、自我を貫き通した在りし日のすずきちくんは、頭のネジが何本か抜けていたようです(本人談)。

ちくわじゃなく、築 80〜100年? 近い、茅葺きの古民家をお借りすることになり、京都時代の友人の多大なる力添えもあって、なんとか住めるように改修。

当時まだ27歳?くらいだったすずきち青年は、学生時代のノリと勢い、興奮と不安が入り混じるなか、真冬の寒さなどすっ飛ばして天井を抜いたり、土壁を壊して薪ストーブの煙突を自分でつけたり、もうやりたい放題食べ放題。

よく村八分にならなかったよね、ウンウン。

古民家をDIYで改修した1年間

とりあえずその年のクリスマス、12月くらいに妻と長女が米原へ遊びに来た。

移住した最初の年が一番雪が降ったんです、そりゃもうビビります。

お風呂の窓が2mくらいの積雪で埋まる。
なんていうか、家ごと雪の中にスポン!と冷蔵庫みたいな感じです。
よく窓も割れずにね、なんとか冬をやり過ごしたよね。

ちなみにこのとき、まったく床も張れてない部屋があって、
「なにここ!?住めるわけ!?」みたいな、妻からの圧力が何ヘクトパスカルあったかは不明です。
計測器がバリン!て壊れるよね。

3月末に妻たちも京都から引っ越してきて、いよいよ拠点が米原になったんですね。
米原インターを降りた、夜の暗さが忘れられません。

移住先の環境になれる期間は1年間は必要

20年以上慣れ親しんだ京都を離れて、妻の心理的さびしさは計り知れないものがあったでしょう。

行きつけの、八百屋さん、パン屋、ケーキ屋、カフェ、商店街や百貨店にも行けず、スーパーといえば1つか2つしかない。
疲れた夜に安心してテイクアウトできるお店や、子ども連れで安心して入れる飲食店もなく、手探りの暮らしでした。

それでも、すずきちが単身で暮らしていたときより、地元の方々との交流ははるかに増えました。
10倍くらいになったんちゃうかしら(すずきち調べ)。

子ども、家族の存在は大きいと実感したよね。

考えてみれば、京都からいきなりこんな山村にヒゲモジャの脱サラメガネリーマンが来たら、不審に思いますよね。

圧倒的不審者にホイホイ声をかけてくれるのは、本当に数えるくらいの人で、うん、そうだよね、と今更ながら妙に納得してます。

自伐型林業との決別?

そうそう、地域おこし協力隊のミッションは自伐型林業(小規模で環境保全型の林業)だったんです。

仕事を退職したとき、漠然と自然に近い仕事がしたいな〜と思い、ネットサーフィンをしまくっていたら、出会ったのが自伐型林業。

高知に移住した超有名ブロガー、イケダハヤトさんのブログで知ったのが初めてだったかなと。

高知の中嶋健造さんという方が代表で、この人の話がまあ上手だったわけです。
四国最強のアジテーターちゃうかというレベルで、扇動がうまかった。

で、それに扇動されて、自伐型林業が儲かるんか〜!
と思って、それならやってみよか、ということでホイホイと米原へ。

チェーンソーの扱いを覚え、ユンボの操縦も覚え、山の中をウロウロと歩き回り、素人に徐々に毛が生えていったわけです。

それまで住んでいた世界とはまったく異なる価値観、職業観が新鮮で、「自伐型林業でワシは食っていくんや!」と明るい未来を信じまくっていました。

実際は、ビジネスモデルや方向性が定まらないまま時間が過ぎ去り、マネタイズのアイディアもないままでした。

これだとネットでよく見る、協力隊あるあるへのデスマーチやんけ!
と気がついたすずきち青年(当時28歳くらい、もう青年じゃないか)は、日夜ウンウン金稼ぎのことを考えはじめたのでした。

起業に目覚めて親に50万円借金をする

今から思えばホンマにこいつしばいたろか!と思う部分もあるんです。

イケダハヤトさんの影響もあったのかな、今となってはなにが原因だったか思い出せないんだけど、起業するしかないやんけ!と考えたんですよね。

自分の金でやったら角が立たずにすんだのに、今すぐはじめなきゃ時間がもったいない!
いつやるの?今でしょ!(古い!)

お金貸してくださいorz(土下座)と帰省した際に、両親にウザいくらい熱弁しました。

妻にはもっとウザいくらい熱弁してました。

多分米原市内で一番ウザかったと思います、当時(今もか)。

加藤将太さんという起業家のコンテンツで、マーケティングやらコピーライティングやらビジネスマインドを一通り学び、トータルで70万くらい投資しました。

これを書いていて、よくさらっと書けるまでになったなと思います。

だって、すごい怪しくないですか?
起業するから勉強のために70万投資したって。

これまで全然周りの親しい人にも言ってないですよ。

たぶん今、多少稼げるようになってきたから言えるんだと思いますが、こういう話をするのって、すごいハードル高かった。
ビジネスとかマネタイズと横文字でおしゃべりする間柄、あまりいなかったんです。

だから逆にいうと、商売の話ができる人は話していてすごい楽しかったし、貴重な友人になりました。

このブログの相談をして、お世話になっている人のオンラインサロンでコンサルを受けたのもすごい楽しかったし、大きな学びでした。

70万かけて学んでよかった。と今なら胸をはって言えるかなと。

大学は800万くらいかかったけど、お金の稼ぎかたとか知らんかったし、まずそこから学ぶべきだ、ということも今なら思う。

グリーンウッドワークをはじめる

自伐型林業で食えなくね?と気がついてから、山に生えてる木をそのまま乾燥させずに使えたらいいな〜と思って、ネットサーフィンをしていたすずきち青年(当時29歳)は、またしても運命的な出会いをしました(自宅でね)。

それが生木の木工、グリーンウッドワークです。

樹種も問わず、乾燥してなくてもいいし、細めの枝でも使える。
北欧や欧米、そして日本でも昔からあった木工のジャンルです。

これこれ!!!
こーいうのを待ってたんよね〜!と、興奮したのを覚えています。

で、まずはスプーン作ってみたいなと思ったので、同じ米原市内の彫刻師の方を招いて、スプーン作り体験会を開きました。
これが2018年10月だったかな。

冬は山での仕事もなかったし、雪解けまでにスプーン100本作ることにして、次は3月末に自分でワークショップを開いてみた。
3人集まってくれて、利益はほぼなかったけど、教える立場にたついいきっかけになった。

これがなかったら、今はもっと遅かったと思う。

1年半くらいたった今では、隣町の団体の企画で連続講座の講師をやらせてもらえるようになったので、この時の判断は正解だったはず。

ちなみにスーパー生木(なまき)ラボって名前で、木のうつわやカトラリーをつくってます!

youtube↓ (チャンネル登録していただけると嬉しい)

インスタ(フォローといいねでプレゼント企画参加できます2020年7月中に実施予定、お待ちください)

移住先での暮らしを継続するために

協力隊の任期終了後にネックなのが「どうやってメシを食っていくか」だと思う。

まあイオンでもコンビニでも、週5日でバイトでもすれば1人なら食っていけるのは間違いない。

地方は暮らしのランニングコストがマジで安い、家賃も安い。
都市生活よりかかる経費は、車のガソリンと灯油代くらいかと。

死なないように食いぶちをもてば、移住先での暮らしは継続できる。

ただし可処分時間、自分や家族のために使える時間が減ると、ぼくは本当にしんどくなるから、フルタイムでイオンバイトとかはやらない。

やる人がいても否定しないけど、田舎暮らしのメリットを放棄してるように思う。
まあ、本当に仕事がなければなんでもやらせていただきます。

協力隊なら、任期中にまずはとにかく数を打って、芽が出たスモールビジネスを育てて、拡大していくという方向性がよいと思う。

あと情報発信は必須。

20〜30代はまだSNSも抵抗ないかもだけど、地方の集落でパワーをもってる世代が一番見ているのがfacebookだと思うので、協力隊は自分らがやってること、ちゃんとfacebookでページを作って、発信するとよいと思う。

ツイッター、インスタ、youtubeもいいけど、地元の人たち向けにはfb投稿は結構鉄板かと。

あと注意すべきは、見られてないと思ってもリアルで見られているように、SNSやブログなどのオンラインメディアでの言動も見られていることがあるので、悪口とかネガティブなことは控えたほうがベターっすね。

まあ、そもそも人の悪口を言うメリットはほぼないので、やめた方がよい派です。

まとめ

長くなったけど、ザクっと2年半を振り返ってみました。
移住してまるまる3年近くたつ立場から、地方移住の超大事なポイントを最後に1つ。

どんなど田舎でも人間は住んでいたら慣れると思うけど、
本当に大事なのは、そこに価値観を共有できるコミュニティがあるかどうか

これが4〜6割くらい、大事だと思う。
個人的には景色がよいとか、交通の便がよいとかは、2〜3割にすぎない。

移住者の先輩がいることはいいと思います。
価値観を共有できるコミュニティがなさそうだったら、よほどその土地に惹かれないかぎり、電撃移住は避けるのがベターです。

土地にこだわりがあるなら、コミュニティをつくるとこからやってみるのも、気力があればOKです。

ガッツがあればやりがいもあり、楽しいと思います。
ただ、それで食ってゆくのは知識が必要だと思います〜。

と言うことで、今回は地域おこし協力隊の任期2年半を振り返る記事でした。

ためになった、面白かったと言う人はSNSでシェアしてくれると励みになります。

ではまた別の記事で会いましょう。

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