すずきち
この記事では前回に引き続き、すずきちの半生を振り返るシリーズをお送りします。
「すずきちについてもう少し知りたい」という貴重な方向けの記事ですw
前回までのあらすじはこちら
すずきち物語①〜誕生から中学時代〜
2回目は高校入学から大学受験までに起こったことについて書いています。
どうぞお気軽に読んでください^^
目次
いきものがかりと同じ高校
家から近いし、姉も通っていたこともあり、神奈川県立厚木高校という、わりと進学校に入学しました。
毎年数人は東大生や京大生を輩出するようなところです。
かといって勉強だけしてればいいという感じでもなく、質実剛健で文武両道を重んじる校風なのでした。
よって、中学時代に引き続き部活は水泳部に。
体育祭や文化祭も活発でした。
生徒にとっても1世1台の大舞台!みたいなところもあり、とてもメリハリのある学校でした。
さらにさらにテレビドラマにもなった『ダンドリ!』のモデルになったといわれるダンスドリル部もあるのです。
水泳部という個人スポーツ。練習と成果が見える楽しさ
水泳部ではバタフライを専門に練習していました。
キツくてやる選手がいなかったからです。笑
だけどバタフライをやると大会にでれたんですよね、リレーのメンバーとかでも。
実は中学校の時もそういう理由から、バタフライをやるようになりました。
初めての大会では最後の方なんか、”ほぼ溺れている”ようなものだったと周りからはいわれましたw
中学の時そんなデビューを果たしたぼくでも、日々の練習を積み重ねると、だんだん余裕がでてきます。
200mバタフライもフツーに泳げるようになるし、胸板はどんどん厚くなりました。
そのころの写真があったと思いますが、またでてきたら載せておきますw
とにかく、練習すればしただけ、結果に現れるの感覚が好きでした。
水泳ではどうあがいても勝てない同級生に会い、挫折。
同じ部活には全国レベルの結果をだす同級生がいました。
なにかしらのスポーツで県大会とか全国大会に行くとよくわかると思うのですが、身体レベルが違う!という人はいます。
ぼくにとっては彼が身近な例でした。
小さい頃に厳しい練習を積んでいたとは聞いてましたが、しばらく水泳からは離れていたそうな。。
けれどもいざ練習を再開するとぶっちぎりの記録を叩き出してくるという。。。
「これには勝てない」
もう、フツーに考えたら勝てないよね。という感じでした。
自分なりに練習して楽しさを見出していた水泳の世界。
水泳に関わる職業を一瞬でも思い描いたじぶんは吹き飛びました。
これ(=水泳)はもう辞めよう。
スイミングクラブのコーチについてもらって厳しい練習にも耐えていたつもりですが、結果がでない。そういう歯がゆさを押し殺して、日々の練習にも励んでいました。
努力は報われる。そう信じていましたが、どうやら努力の仕方が違ったようです。
小さい頃からの凝り固まった型ではなく、結果を出すためには、正しいフォームで、正しい練習法をやる必要があったのでしょう。
当時のぼくは正しい目標を立てることも、それを達成するための正しい練習方法も知らなかったわけです。
ぼくがいまお世話になっている経営コンサルタントの加藤将太さんいわく、目標を達成して成功するためにやることは次の3つだけです。
- できると知る(過去に達成した人がいるか?の知識)
- 方法論を知る(同じく知識)
- 実行する(あとはやるだけ)
それぞれの段階で実際に行動に移す人は1/10人。
3つの段階を行動に移すだけで1/1000人にひとりの逸材になれるというわけです。
少し話がそれましたが、すずきちが水泳部で挫折を味わったという話でした。
あくまで部活動の一環なので、終わりはきます。
これまで言ってきたこともあって、ぼくはスパッと部活を卒業して、受験勉強にシフトすることができました。
ぼくの青春の一部はあっけなく、幕を閉じたのでした・・・
スピンオフ:最後の大会終わりに立ち寄った夜の江ノ島でヤ◯ザに拉致られそうになる
水泳部人生で最後の大会を終えると、夜の江ノ島海岸にいくという伝統行事がありました。
営業を終了したはずの海の家には女性が2人ほど。
とりあえずぼくらは荷物をそこに置かせてもらい(見ておいてあげると言われたので)、夜の海でひとしきりに泳いで泳いで、はしゃぎまくっていました。
いい加減疲れたのでもう帰ろう、となりました。
海の家に戻ると例の女性2人の姿が見えません。
その場の全員が?となった次の瞬間、闇夜から現れたるは2人のイカツイ人。
「ああ、これは・・・」
とその場の全員が思いました。
責任取れるのか?的なことを言い出して、部員のひとりが返答に困ると、平手打ちが!!
ああ。。無残にも彼の眼鏡は砂浜に吹き飛んでゆきました。
胸ぐらを掴まれたりする友達もいましたが、もうどうにでもなれ〜という感じで一瞬のスキをついて一同ダッシュで駅の方へ!
人生史上最速で駅に到着。振り返らずに走りまくったので高校の名前が書いてあるメガホンを落としてきたことにも気がつきませんでした。笑
数年は夜の江ノ島に近づかなかったのはいうまでもありませんw
親友Sとの出会い
ぼくには親友と呼べる人がいます。
それがこのS君です。
S君はとてもひょうきんなヤツで、誰も傷つけない笑いを得意とするいいヤツでした。
S君とは1年生のクラスが一緒でした。
彼はブルーハーツが好きでした。
ぼくもブルーハーツが好きでした。
ブルーハーツがぼくらを結びつけました。
気がついたらぼくらはバンドを組んでいました・・・
ブルーハーツのコピーバンド結成〜学園祭
同世代はモンゴル800やエルレガーデン、Hi-STAMDARDなど、ナウくてエモいバンドサウンドを演奏していました。
そんな中、同じく平成元年生まれのぼくらはブルーハーツという、思春期の高校生にとっては”ちょっとダサい”音楽のコピバンをはじめました。
リンダリンダ、TRAIN-TRAINほどメジャーじゃないけど、他のいい曲を広めたい!という密かな野望を抱きつつ、放課後の教室や駅前のコミュニティセンターにある貸しスタジオで練習していたのです。
ギターは弦が多くてむずかしそう、という理由からぼくはベース担当に。
途中で親友のS君は脱退することになったのですが、結果的にひとつの目標だった学園祭のステージデビューも果たすことができました。
体育祭の団長を勤めて白髪になる
「やるときはやる」という気質なので体育祭も本気です。
赤青黄白の4色に別れて団体戦な訳ですが、それぞれ団長がいます。
ぼくは白の団長でした。
写真が出てきたら載せておきますが、8回ブリーチして2回アッシュグレイを入れて白髪になりました。
「ブリーチしすぎるとハゲるよ」と言われたものですが、今の所自前の髪でやっておりますw
当時の写真は近日公開予定。
受験勉強スタート。授業料年間100万超の予備校へ
高校2年の秋頃から本格的に受験モードに入りました。
当時は予備校の授業料なんて気にも留めなかった(なんてドラ息子!)わけですが、先日両親に聞いて見たら学費は100万円でした。。。
2007年当時、まだ珍しかったipod miniが提供されて音声教材で学習とかもしていたし、やたらサポートも手厚かったような気がします。
ちなみにぼくは、ここで英語の勉強法を身につけて、英語の成績が伸びはじめました。
有名人のスピーチの一部を暗唱できるようになるまで読み込んだり、朗読される音声をディクテーションしたり。英語は英語で理解するなど、ポイントを掴んでいったと思います。
結果的には高校卒業時にTOEIC700点くらいだったと思います。
*幻の就活時代に受け直したら800点まで行きましたが、最近は英語使ってませんw
7つの習慣も知るが忘れるw
いまや世界中で大ベストセラーの『7つの習慣』。
まさにいま学んだらめっちゃ役に立つんですが、当時のぼくは高校2年生でした。
ちょっと若すぎたと思います。
10年間の間、完全に忘れ去っていたので、いま学習中の無料教材(次世代起業家育成セミナー)で出会ったときはとても新鮮な気持ちになれましたw
次回予告
すずきち
最後まで読んでいただきありがとうございました!
すずきちの高校時代はいかがだったでしょうか?
10年以上も前のことを思い出すのは結構大変ですが、印象深いことは意外と覚えているはずなので、頭の体操にもなりますし、あなたも時間を使って書いてみてはいかがでしょうか?
次回のすずきち物語③は大学篇になります。
早稲田大学合格したにも関わらず、京都の大学へ進学した理由や北海道へのサイクリング旅の珍道中、すずきちの人生を変えた映画ベスト3の発表など盛りだくさんです。ぜひお楽しみに^^
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