すずきち
この記事ではわたしすずきちについてもう少し詳しく語っていきます。
その①は誕生から中学時代までの話になります。
それでは早速いってみましょう!
目次
出生地について
神奈川県の中央あたりにある厚木市に生まれました。
3歳離れた姉が一人います。
小さい頃はよく喧嘩をしていて、よく邪険に扱われていたようです。笑
いつも後からついてくる邪魔な弟です。いなくなればいいと思うこともあるけど、たまにかわいいのでOKです。
↑↑↑記憶が曖昧ですが、姉が書いた作文の中身です。
大人心をくすぐったのか、地元の新聞に掲載されるという事件もありました。。。
不自由のなかった幼少期
ごく普通の家庭だと思ってきましたが、今頃になって思うのはけっこう愛されて育ったんだなー、ということです。
喘息持ちだったらしく、改善するために水泳教室に通わされていました。
ベビーコース(1歳くらいだったはず)に通っていたらしいですが、とにかく水が顔にかかるのが嫌だったようです。
どうせ濡れるのに水から上がるたびに顔を拭いていたそうな。笑
結果的に喘息は治り、中学では水泳部の部長を務めるまでになりました。(←やりたがる人がいなかったからw)
そのほかで言えば、欲しいおもちゃは買ってもらえていたと思いますし、やりたいこともさせてもらっていたような。
末っ子であり長男であるからか、祖父や祖母から特に目をかけてもらっていた記憶があります。
*この際ぶっちゃけますが、お小遣いもいまだにもらったりします!
人生で一番モテた幼稚園時代
幼稚園の頃は比較的ガタイがよかったのか、今から思うと割と悪ガキだったのかもしれません。
そしてなぜかモテていました。
片腕ずつ女の子に引っ張れらるというマンガみたいな栄光をかすかに覚えています・・・w
そんな時代も過ぎ去りあっという間に小学生へ。
人生史上、最高に爆笑した小学4年生
小学校に上がり縦社会へ突入しました。
もちろんそんな厳しさは感じずに、のびのびと成長していき、気がつけば高学年に差しかかろうとしていました。
小学生の頃って、夏休みが永遠だったと思うんですが、みなさんはどうでしたか?
来る日も来る日も同じことの繰り返し、、、的な。
遊ぶ、宿題、遊ぶ、宿題みたいなルーチンだったような気がします。
話がそれました。
小学4年の頃が一番笑っていた、という記憶についてです。
はっきり理由はわかりませんが、担任の井上先生が黒糖をくれたんですよ、授業中に。
甘いものが脳の栄養になるから〜的な理由だったはずですが、これ以外に正直あんまり記憶がありませんw
「黒糖もらってめっちゃ楽しかった」
とりあえずこういう結論にしておきますね^^
小・中学生時代 父の実家岩手県への帰省、”田舎暮らし”の原体験に触れる。
徐々に主体性が出てきたのか、記憶が鮮明にあります。
父の実家が岩手県の九戸村というところでして、まあ、田舎です。
山が近い。迫ってくるんですよね。
昔は南部せんべいを焼いたりクジラ漁に出たりしていた祖父と、それをサポートしていた祖母が二人で暮らす家へ、お盆に帰省していました。
とうもろこしが抜群にうまい。
これだけは覚えています。
あと、親戚の集まりで方言がきつすぎて何を喋ってるか冗談抜きでまったくわからなかったこと。
ぼくに向けて喋るときは気を使ってくれていたんだ、と。
「これが大人か。」
当時のぼくはそう思った。
そういうことにしておきます。
習いごと:水泳、書道、ピアノ、体操教室、ミニバスケット
よくこれだけ習いごとをさせてもらえたものだと思います。
特に水泳をやっていたことはメリットしかないと思っています。
小学生の頃なんか25m泳げるだけでも割と貴重な存在になれますからね。
「ポジションをとる」
自己存在感も高まるし、アイデンティティにも繋がると。
身体を動かすとドーパミンが出てやる気が上がってポジティブになれるし、習いごとなら運動系がいいですね。
運動以外なら書道もいいです。
集中力がグリンっとアップします。
ぼくは小学校1〜6年までやりました。
いつも字を書くときは雑ですが、綺麗に書こうと思ったら割とキレイに書ける自信はあります。
MDウォークマンで井上陽水だった中学時代
初めて買ったCDはTHE OFF SPRINGSのアルバムです。
なぜかそこから井上陽水にハマりまして、、、
『氷の世界』『リバーサイドホテル』とか超リピートしていました。
中でも衝撃だったのは『人生が二度あれば』という曲です。
定年した父親の哀愁について歌った曲です。
超名曲です。後悔しないように生きようと思わせてくれます。
水泳部で部長、体育会系。ヤンチャな友達とも分け隔てなく付き合う
中学校って多様性があって面白かったなあと思います。
小学校はまだ敬語とか上下関係の意識も希薄で、高校だと偏差値が似た人たちばかりなので話す内容も進路もわりと似ていたり。
ヤンキーもいればガリ勉もいるし、運動が得意な子もいれば超絵がうまいとか分厚い小説ばっかり読んでいる子もいる。
大半は進学するけど就職する子もいる。
不登校になる子もいるし皆勤賞イエーイ!みたいな子もいる。
早ければ性的な体験を済ませる子もいる。
いろんなポジションがあるというか、得手不得手のバリエーションがある気がするんですよね。
まあ結局は足が早いとかイケメンだったり、話がおもしろいとかビジュアルがいいとかの価値観が強くて、そこからこぼれ落ちたらピラミッドの下層へ。。。みたいな世界があることはあるんです。
個人的にこれはどうにかしたいと思います。
価値観を素直に認め合えて素直にすげー!どうやるのー?という感情を尊重しあえる雰囲気がいいなと思います。
ブルーハーツとX JAPANに出会う
ブルーハーツと出会ってぼくの人生は大きく変わったといっていいでしょう。
ちょっとヤンキーよりの友達となぜか仲良くなり、泊まりにいくことが増えたりしたのです。
そこで彼のお兄さんが持っていたCDを貸してもらったわけですね。
そしたらもう人生変わるわけです。
ハンマーでガチーン!という感じ。
ブルーハーツに関しては好きな曲がありすぎて1曲ずつ思い出を語れますw
ぼくが聞いたときはブルーハーツは解散していましたし、その後に結成したハイロウズも解散間近だったのです。
多分なにかの音楽番組で本当にちらっと甲本ヒロトを見た記憶はありますが当時は惹かれなかったんです。
が、人生を変えるものとの出会いは突然というか、なんというか不思議なものです。
あとX JAPANとかNUMBER GIRLとか、他には河島英五、たま、ユニコーンなどなど。
同世代と比べると趣味が人世代古いという。笑
そういうのがグッとくる、ちょっと老けた思春期を送っていたすずきち青年なのでした・・・。
塾にも通わせてもらい厚木高校へ進学。
部活もそこそこに、高校受験に突入。
地元の塾に1年半くらい通わせてもらったと思います。
真面目に勉強していたからか、地元の進学校へ合格。
「とりあえず大学へ」というレールに乗ったのでした。
当時の15歳と2018年の15歳との違いはなんだろうかと考えたりします。
圧倒的に違うのはインターネットを取り巻く環境です。
ネット環境へのアクセスが抜群にしやすくなっています。
わざわざ企業体に勤める必然性はなくなっていますし、実際Youtubeやメルカリなどのプラットフォームで生活費を稼ぐ10代は珍しくありません。
ウェブ上での影響力や発信力が資産であり実際にそれが富を生み出すのだ、ということが世間に知れ渡っています。
いま、自分が15歳だったら、高校を受験しただろうか?
どんな情報を取りに行って、どんなキャリアを築いていただろうか?
そんなことを考えながら、第一回は終わります。
すずきち
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